京都 泣ける京都の桜物語。京で愛される桜に隠された5つの感動エピソード

これまでも京都の桜の魅力についてはたびたびお伝えしてきましたが、今回お届けするのは、それぞれの桜にまつわる知られざるエピソード。無料メルマガ『おもしろい京都案内』に、胸に響くさまざまなストーリーが紹介されています。
京都の桜と共に語り継がれる物語
桜というのは自然の一部です。しかし我々が良く知っているソメイヨシノはクローン桜のようなものだってご存知でしたか? 接木が簡単で成長が早く花が枝いっぱいに咲くから明治から昭和初期にかけて大流行して全国各地に植樹されたのです。特に日露戦争直後などの戦勝記念の時に日本中に植えまくったとのこと。

めしべが退化して花粉もないソメイヨシノは自生出来ず、ミツバチなどの昆虫や鳥もあまり寄りつかないようです。そんなクローンのような桜は日本国中どこで見てもみんな同じということになります。「まあ、キレイ!」と言った後に他に出る言葉があまり見当たらないのです。京都の桜を愛でる人達から言わせるとそれは本当の花見とは言わないのでしょう。

近年ソメイヨシノが全国的に枯れてきているという報告があるそうです。そこで初めてソメイヨシノの寿命はだいたい100年ぐらいだということがわかってきたようです。明治以降に彼岸桜と大島桜を交配させて作られたとされるソメイヨシノにはそのものの美しさはあります。しかし城や寺、神社に植わっているのはどう考えてもおかしいことがわかります。ソメイヨシノは戦国時代や江戸時代にはなかった桜なのでそのような景気を愛でたところで少し冷めてしまいます。「この桜吹雪が目にはいらねえか?。」の遠山の金さんの桜吹雪の入れ墨もソメイヨシノというのも厳密にはおかしいわけです。
本物の花見とは?
日本に自生している桜は、大島桜、山桜、彼岸桜の3つで実を成して自生できる桜はこの3つだけのようです。あとは突然変異か品種改良したものばかりでめしべが退化しているから接木でないと自生出来ません。自生の桜は環境に左右されるから咲かない年もあります。雨が少なかったり夏が暑すぎたりすれば咲かないかもしれません。咲いても必ずしもキレイに咲いてくれるとは限りません。そんな桜がきれいに咲き誇る姿を見た時に初めてこみあげてくるものがあるというものです。

新緑の桜の葉の鮮やかさや寒い時期にエネルギーをため込んでいる幹のたくましさなども花見の一部です。桜にとって花が咲くのは1年の最後です。そんな桜の生き様を考えながら見る満開の桜にはドンチャン騒ぎなんかをしていては得られないものがあります。

そこで今回は京都で咲く桜の中で感動の物語と共に語り継がれているものをいくつか取り上げて紹介したいと思います。
容保(かたもり)桜 京都府庁旧本館


2010年に桜守で植藤造園の当代16代目の佐野藤右衛門さんが発見したヤマザクラです。花びらがやや大きく表皮は剥がれたような木肌をしているというオオシマザクラの特徴も持っています。ヤマザクラが変異した桜として調査した結果、ヤマザクラのとても珍しい品種であることが判明しました。

京都府庁旧本館は幕末、京都守護職として会津(福島)から来た会津藩主・松平容保の上屋敷があった場所です。これにちなんで「容保桜」と名付けられました。新選組を組織した容保、花のように若くして散った新選組の命、幕府側につき新政府軍と戦った会津藩の悲劇などを見てきた桜です。府庁旧本館はレンガ造りの西洋建築で国の重要文化財で中庭には初代祇園しだれ桜の孫桜も咲き誇ります。

祇園しだれ桜について詳しくはこちらをご覧ください。

● 京都の桜を育てて100年、「桜守」佐野藤右衛門が勧める桜の名所
墨染桜 墨染寺
平安時代の歌人・上野岑雄(かんつけのみねお)が、友人で初の関白となった藤原基経が亡くなったのを悼んで詠んだ歌があります。

「深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染に咲け」(古今和歌集)

桜の花に心があるならば、せめて今年は墨染色に咲いてほしいという仲の良かった友達を偲ぶ切々たる悲しみが伝わってきます。京うちわで有名な伏見深草周辺に墨染(すみぞめ)という地名があります。この歌を聞いた桜が薄墨色に咲いたためこの辺りを墨染と呼ぶようになったといいます。1,000年以上前からこの地は墨染と呼ばれていることになります。そして墨染(ぼくせん)寺という小さな寺の境内に墨染桜が今もひっそりと植わっています。謡曲や能でも取り上げられ、芸能関係者が多く訪れました。

墨染桜は開花当初は、実際は白い色をしていますが見ようによっては薄墨色に見えるというのがいわれです。開花はソメイヨシノより1週間ほど遅く、満開になるとピンク色に咲きます。この歌を胸に刻み墨染寺に花見に行くと特別な感動が得られるはずです。
関雪(かんせつ)桜 哲学の道



琵琶湖疏水沿いの散策路である哲学の道の両脇に咲くソメイヨシノは「関雪桜」と呼ばれています。明治の巨匠で日本画家・橋本関雪のことです。関雪は神戸に生まれ、東京で絵画の修業をした後、京都で竹内栖鳳(せいほう)に師事し画家として大成します。京都では晩年銀閣寺に近いアトリエ兼住居「白沙村荘(はくさそんそう)」で過ごしました。

京都に来た数年間は食べていけるのもままならいような画家とても苦労しました。一膳のご飯を妻と分けて食べるほど貧しかったといいます。大成してからは宝塚、大津、中国の上海などにも別荘を買うほどの建築マニアでした。欧州外遊の時は当時知り合ったドイツ人の女性を連れて帰ってきたりとやりたい放題だったエピソードも残っています。京都では夜な夜な毎晩のように祇園に通い芸者遊びに興じていたといいます。

妻ヨネは関雪を貧しい時から支えたのは多くの京都の人達の温かな援助だったとその恩を忘れませんでした。関雪が大枚をはたいて建築物を買ったり毎晩のように祇園で散在している間もヨネは倹約に努めました。そして、ヨネの発案で貧しい時良くしてくれた京都の人のためにと大正10年に桜の苗360本を京都市に寄贈します。哲学の道に咲く桜には文人のサクセスストーリーと心温まる夫婦愛なくしては存在しないものだったのです。
おかめ桜 千本釈迦堂



千本釈迦堂の正式名は大報恩寺(だいほうおんじ)といい京都市内最古の本堂で有名です。その本堂前にあるしだれ桜が「おかめ桜」です。鎌倉時代、本堂を建てた大工の棟梁・長井飛騨守高次(ながいひだのかみたかつぐ)の奥さんの名前が、お阿亀(かめ)さんです。おかめ納豆などで有名な、あのおかめです。

本堂を建てる時に棟梁は誤って親柱の寸法を短く切り過ぎてしまいました。棟梁は自らの過ちに苦悩しました。そんな夫を見ていたおかめは棟梁に枡組みを使うようアドバイスして、無事に本堂は完成します。しかし、おかめは女性のアドバイスで男の仕事が救われたことが知られたら棟梁の恥になると口封じをします。おかめは本堂の上棟式を待たずに自害してしまいます。嘆き悲しんだ棟梁は上棟の日に妻の冥福を祈っておかめのお面を御幣に付けて飾りました。

本堂前にあるしだれ桜はかわいらしいおかめ像のすぐ近くで咲き誇ります。満開のしだれ桜は空から落ちてくるおかめの涙のようにも見えます。ソメイヨシノより少し早めに咲く千本釈迦堂のおかめ桜はとても見事なので必見です。
御車(みくるま)返しの桜 地主神社
清水寺の境内、本堂の裏手にある地主神社はえんむすびで有名な神社です。地主神社の境内に置かれている恋占いの石の周りはいつも若い男女でにぎわっています。拝殿奥にある一見見逃してしまうぐらい小ぶりな桜が地主桜です。別名を御車返しの桜といいます。811年、嵯峨天皇が地主神社に行幸された時に地主桜のあまりの美しさに3度車を引き返して見たことからこの名が付きました。

地主桜は1本の木に八重と一重の花が同時に咲く珍しい品種です。平安時代からその美しさは都では有名になり、謡曲「田村」や「熊野」にも登場する銘木です。白川女の花使いによっても毎年宮中に献上されていました。今でも4月17日のさくら祭では白川女による地主桜の献花や謡曲の奉納などが行われています。

いかがでしたか? 物語を知ってから実際に見に行った時のことを思い出すと今でも涙が込み上げてきます。これを書いていて再びその時の情景が浮かびグッとくるものがありました。今回ご紹介したのはほんの一部ですが、京都の桜にはいくつもの物語があります。そんなことを知りながら1人で眺める花見は最高に贅沢な時間になることでしょう。