京都 危機を前に芸術は何ができる 日独クリエーターが探る

2016年03月15日

京都 危機を前に芸術は何ができる 日独クリエーターが探る

京都 危機を前に芸術は何ができる 日独クリエーターが探る

災害や難民問題など社会が直面する危機を前に、芸術には何ができるのか?。京都市左京区のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川で開かれた座談会で、日本とドイツの美術家や建築家らが、社会的・政治的テーマを織り込みながら多様なメッセージを発信しうる芸術の可能性について考えた。幅広い視点からの議論の奥底に、社会の課題に向き合い、記憶の風化にも抗するアートの底力が見えた。

 東北大教授の建築史家五十嵐太郎さんは、芸術がなしうることを「記憶を伝えること」と語った。東日本大震災後、福島県南相馬市の仮設住宅地で、県産木材を使ったログハウスの集会所を建設し、アーティスト彦坂尚嘉さんらと復興を願う巨大壁画や塔も制作。芸術監督を務めた2013年のあいちトリエンナーレでは「揺れる大地」をテーマに問題意識の高い作品を集め、福島第1原発の建屋をモチーフにした建築家宮本佳明さんのインスタレーションなどが話題を呼んだ。

■消えていく痕跡

 昨年刊行した新著「忘却しない建築」で海外の多様なメモリアル施設を検証し、震災の遺構である建築の「モノ」としてのあり方を考えた五十嵐さんは、「ベルリンには戦争の記憶としての場もモノもあちこちにあるが、日本は驚くほど消え去っていく。東京を歩いても戦争や関東大震災の歴史は分からない。福島は時間が凍結されているが、津波があった場所は記憶の痕跡が消え始めている」と問題提起した。

 芸術家集団「Chim↑Pom(チンポム)」のリーダー卯城竜太さんは、震災1カ月後に福島第1原発付近で行ったプロジェクト「リアルタイムス」を振り返った。防護服姿で、東京電力が原発近くにある日の出スポットに造った展望台まで歩き、降伏を意味する白旗に日の丸を描き、放射能マークに変えながら旗を立てる様子を映像に収めた。「東電や政府中心の発表と30キロ圏外から撮影したニュース映像に違和感があった。旗を立てたのは行くのが難しいという証明。ジャーナリストも行かない所で作業員が働いている現実を見ようと思った」とした。

■被害性と加害性

 卯城さんらが昨年の「3・11」に福島県の帰還困難区域で始めた展覧会も記憶をつなぐ試みの一つだ。詳しい場所は明かされず、封鎖が解かれて初めて一般の人が鑑賞できる。「生活のレベルで忘れていくことと歴史の中で忘れることは違う。ドイツのホロコースト記念碑などは別だが、どの国も被害性を重視したメモリアル施設が多い。フクシマはその被害性と加害性をどう考えるか。権力には都合の悪い情報は残したくない思いがある」と語った。

 ドイツ出身の芸術家たちも創作と社会の関係性などを報告した。建築家ハネス・マイヤーさんは、「見えない『境界』との統合」をテーマに、ホームレスとのツアーを企画して弱者に光を当てるドキュメンタリー映像などを制作してきた経験から「難民に対しても、社会や建築がどれだけオープンでいられるかは課題」と指摘。美術家ティモ・ヘルプストさんもエジプトの戒厳令下の無人の路上の風景とドイツのエジプト博物館にいる自らの姿を重ねたフィルム作品などを紹介し、「アートは現実から離れた存在だが、私たちの頭の中に常に影響を与える。考えるためにアートがある」と強調した。

■社会にほんろう

 批評や検閲、自主規制と闘う苦労についても意見を交わした。卯城さんは、公的助成による作品発表は「フクシマや震災、慰安婦などは、賛成も反対もしなくてもNGワードと言われる」と明かし、「アートは個人的な活動という意識。正しいかどうかではなく、個人が政治や社会にほんろうされていることを作品に写し取りたい」と語った。五十嵐さんも「アートは一人で切り込んでいけるのに対し、集団で動く建築家は被災地ですぐに何ができるかは難しいが、実務的なことを外せば提案できることは出てくる」と指摘した。

 座談会では、緊急時における美術館など文化施設の機能性についても議論し、「漂流」というキーワードも挙がった。それは津波被害や福島からの避難者、欧州の難民も想起させる。芸術も市民社会も、出発点は他者への想像力を持つことに違いない。



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