京都 <東日本大震災>福島第1原発事故 震災5年

2016年03月14日

京都 <東日本大震災>福島第1原発事故 震災5年、集団訴訟の原告「原発事故、風化させない」 子供思い福島から避難 

京都 <東日本大震災>福島第1原発事故 震災5年、集団訴訟の原告「原発事故、風化させない」 子供思い福島から避難 

東日本大震災 311

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東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第1原発事故から5年。故郷を逃れて避難を続け、国や東京電力の法的責任を問う人たちが府内にもいる。京都市伏見区の高木久美子さん(49)も京都地裁に集団訴訟を起こした原告の一人。放射能被害を恐れて長女(16)、次女(15)と一緒に福島県いわき市を離れ、今も先の見えない暮らしを続ける。

 震災5年の11日午後2時46分。当日を思い起こし、黙とうして手を合わせようとしたが、できなかった。「5年たっても震災に正面から向き合えないのかな」

 いわき市で勤めていたスーパーでレジ打ちをしていると突然、建物全体が激しく揺れた。近くで赤ちゃんを抱えてしゃがみ込む女性を見つけ、必死の思いで覆いかぶさった。

 自宅は東京電力福島第1原発の50キロ圏内。原発事故後、平穏だった日常が一変した。「国が定めた放射線の基準値は本当に安全なのか。何を信じればいいのかわからなくなった」。子供たちへの影響を考えて調理には水道水でなくミネラル水を使い、食費もはね上がった。

 原発事故から1年後の2012年3月、「子供たちにのびのび育ってほしい」と京都への避難を決意。避難を巡り考えが合わない夫とは別々の人生を送ることを決めた。東電からの賠償金も受け取ったが、避難費用ですぐに底をついた。

 現在は週3、4日は市役所の嘱託職員として働き、ぎりぎりの生活が続く。家財も十分に買えず、自宅には避難当初から洋服ダンス代わりの段ボール10箱が積まれたままだ。それでも「放射能がないところが良い」と友達と外ではしゃぐ子供の姿を見ると「避難して良かった」と実感する。

 13年に支援団体の誘いで集団訴訟の原告に加わった。多くの避難者を出した大事故なのに責任の所在があいまいなことに納得できなかった。

 東北各地から避難する母親たちでつくる「笑顔・つながろう会」の代表も務め、地域イベントで手作りのアクセサリーなどを販売。売上金は避難者の生活費支援に充てる。講演会で自身の体験を話す機会もあるが、年々参加者が減っているのが気になる。「5年を経てもまだ多くの人が避難を続けている。震災を風化させてはならず、細く長く活動を続けていきたい」




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