京都 折り紙細工作者の謎に迫る 戦前の京都で活躍、没年判明

戦前の京都で「折り紙細工」の制作者として活躍しながら経歴は謎に包まれた中島種二が、戦後の1954年に亡くなっていたことが、府立総合資料館(京都市左京区)に残っていた資料で分かった。下鴨神社(同区)近くに住み、「加茂風折紙家元」と名乗っていたことも判明。突き止めたグラフィックデザイナーの軸原ヨウスケさん(37)=岡山市=は「異才の生涯の解明につながる」と喜ぶ。

■生涯知る手掛かり

 中島は、折り紙にハサミで簡単な切り込みを入れることで表現の幅を広げた「折り紙細工」で多様な作品を打ち出した。「手工教材 折紙細工」(昭和11年)などの著書で、考案した斬新な作品を次々と発表し、戦前にアサヒグラフで連載を持っていた。しかし、折り紙細工が忘れられていくと同時に中島の功績が振り返られることもなくなった。

 資料は、折り紙同好会が1978年に発行した会報で、中島とともに折り紙の展覧会を開いた創作折り紙の竹川青良という人物が「中島先生を偲(しの)ぶ」と題した文章を記していた。

 その中で「先生は大正中期から昭和29年亡くなられるまでの間、創作折紙の普及、活動に懸命に盡(つく)されました」とあった。さらに「昭和29年夏不慮の疫病にて二日ばかりにしてなくなられましたが、真に慎しみても余りある事です」ともつづられ、中島の死が急だったことも分かる。

 中島の暮らしぶりについても「京都下鴨神社のほとりに加茂風折紙家元と名のり独身の気易さ、飄々(ひょうひょう)としての折紙に明け暮れの生涯でした」と書き記している。「生前現天皇第一皇女照宮成子内親王さまに、和紙折り雛(びな)を美麗なる絵文庫に納め献上されました」と新たな手掛かりも示されていた。

 また、資料館が所蔵する中島の著書の奥付に左京区下鴨の自宅住所が記されていた。軸原さんが訪れたところ、今は別の家が建っていた。軸原さんは「中島の姿がおぼろげに見えてきた。この手掛かりを基に詳しく調べていきたい」と話す。

 中島に関する情報はメールcochae@gmail.comへ。

■「邪道とされるが」

 中島の作品がこれまでほとんど振り返られなかった理由として、軸原さんは折り紙にはさみを入れる点を挙げる。「折り紙の世界には、1枚の正方形の紙を切らずに折ることだけで作るという信仰に近い考えがあり、今でもはさみを入れるのは邪道と捉えられる節がある」という。

 中島作品の作り方ははさみを入れる場所も最小限で、すべて必然的な要素で成り立っている。その点に軸原さんは魅了された。

 中島が作りだした折り紙の豊かな世界に少しでも多くの人々に触れてもらうため、軸原さんは最近、中島作品の作り方を紹介する本「カワイイヲリガミ細工」(誠文堂新光社)を出版した。「中島作品を再評価する機運となり、折り紙細工が子どもたちの創造力を育む新たな定番になってほしい」と話す。