京都 応仁の乱「東陣」知名度アップを 西陣と並ぶ地に

2016年01月22日

京都 応仁の乱「東陣」知名度アップを 西陣と並ぶ地に

京都 応仁の乱「東陣」知名度アップを 西陣と並ぶ地に


応仁の乱で東軍の細川勝元たちが拠点とした「東陣」の地域を広く知ってもらいたい、と京都市上京区の住民たちが活動を始めた。昨秋に「まち歩きツアー」を実施したほか、2月にはシンポジウムを開催する。住民たちは「遺跡も多く、将来は西陣に並ぶ有名な地域になってほしい」と期待する。

 室町時代、1467年に始まった応仁の乱では、現在の堀川通の東に流れていた小川を境に、細川の東軍と山名宗全の西軍が対決し、京都は焼け野原となった。

 その後、西軍が拠点とした「西陣」は織物産業の中心地として有名になり、今出川通大宮東入ルの京都市考古資料館(旧西陣織物館)前に西陣の碑が建つ。一方、東陣の地には、応仁の乱勃発(ぼっぱつ)地の碑がある上御霊神社や、足利将軍の邸宅「花の御所」跡(現同志社大寒梅館)などがあるものの、地名としては残らなかった。

 上京区が、東陣ゆかりの地を知ってもらおうと、昨年11月「まち歩きツアー」を実施。上御霊神社や足利義満が創建した相国寺などを訪ねた。「このあたりが東陣の地域だとは知らなかった」という声もあったという。

 シンポジウムは、2月13日午後1時半から、上京区役所で区内の住民団体などが開く。市考古資料館の山本雅和副館長が基調講演する。その後、文化活動施設「西陣の町家・古武」主宰の古武博司さんと、上京区のイラスト地図を作る上京探訪シナリオ研究会の豊田博一会長たちが加わり、東陣の歴史遺産をどうまちづくりに生かすかを討論する。

 古武さんは「現在の京都は、応仁の乱後に形作られた。そのきっかけとなった乱や東陣の重要性を京都の人に学んでもらいたい」と話す。当日先着180人。無料。
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