2016年01月09日
京都 日本初の理科の教科書「物理階梯」 関係者子孫が京都・西舞鶴高で紹介
京都 日本初の理科の教科書「物理階梯」 関係者子孫が京都・西舞鶴高で紹介
日本初の理科の教科書といわれる「物理階梯(かいてい)」。京都・舞鶴出身の片山淳吉が編纂(へんさん)したものだが、片山とともに別の理科の教科書を出版した百田重明の子孫の会社役員、百田孝男さん(52)=京都府舞鶴市京口=が保管しており、後輩の西舞鶴高(同市引土)の生徒たちに披露された。現在の理科教育でも十分に通用する内容といい、百田さんは「明治の偉大なる郷土の先輩の功績を、未来のある若者たちに知ってもらいたい」と話している。
米国の入門書を翻案
片山は天保8(1837)年の生まれで、田辺藩の命を受けて江戸に出て、その後、慶應義塾の教員を経て、当時の文部省の官吏になった。「物理階梯」は明治5年、小学校高学年用の理科の教科書として出版。アメリカの入門書を翻案して書き下ろしたもので、内容は物理・化学など科学一般にわたり、一部は現在の高校のレベルに達しているという。
百田さんの曾祖父の兄にあたる百田重明も東京に出て官吏となった人で、明治14年に片山と「小学物理講義」を共同出版するなど、片山と親交があった。
百田さんの家に「物理階梯」が保管されているのがわかったのは約20年前。大阪の大学教員が舞鶴で片山に関する資料を探している際に、百田さん宅に片山家から預かった大切な箱があることを聞きつけ、確かめると「物理階梯」や片山の写真などが見つかった。
「どういう経緯で預かったのかはわからないが、ずっと大切なものとして保管してきた。ただ、中に何が入っているかは知らなかった」と百田さん。
「郷土の先輩の貴重な資料」
昨年6月に開かれた西舞鶴高の同窓会で、百田さんがその話をしたところ、長島雅彦校長が「ぜひ生徒たちに見せてやりたい」と興味を示したため、百田さんが「物理階梯」と「小学物理講義」を同校に持参。百田さんの二男の明紘君(18)が同校理数探究科に在籍(3年)していることもあって、特別授業として、同科の1、2年生約80人に紹介した。
自身、化学の教師という土手敏通副校長が「物理階梯」の一部を示しながら、ボルタ電池や重心の見つけ方など、興味深い内容が含まれていることを紹介。百田さんも駆けつけ、貴重な資料が発見された経緯などを説明した。
1年の山崎映奈さん(16)は「郷土の先輩の貴重な資料を見せてもらいました。まだ物理の授業は始まっていないが、学ぶのが楽しみになりました」と話していた。